古賀 愛子 さん

古賀 愛子 さん

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横浜薬科大学薬学部健康薬学科。三線奏者、2014年9月、20歳の時に「あなたを想う花になりたい」でCDデビュー。石垣島など各地で三線ライブを実施

■ これまでの主な活動 
                                    

〇三線奏者としての活動履歴
10歳の頃から三線を習い始め、2014年9月「あなたを想う花になりたい」でCDデビュー
古賀愛子 official web site


▲古賀愛子 あなたを想う花になりたいPV

2014年 「CD発売記念ライブ」 小岩こだま
2015年 「スーパーGT Rd.4 富士スピードウェイ」 イベントステージ
2016年 初石垣島ライブ 「カフェclass」
「OKINAWA BEER TERRACE」 ルミネ北千住
2017年 「第10回いーちゃイチャフェスティバル」 屋外ステージ
2019年 「GIVER MELODIA TOKYO」 ・・・など

■ 古賀愛子さんインタビュー  
                              

【1】三線を始めるきっかけは、小学校の時の三線教室から

皆さんは三線という楽器をご存じでしょうか。「サンシン」という発音だけだと、「それ何?」と尋ねられることが多いのですが、「沖縄の歌を歌う人が持ってるやつ」と説明すると、「あ!知ってる」と答えてくれる人が一気に増えます(笑)。喜納昌吉さんの「花」や、THE BOOMさんの「島唄」など、大ヒット曲がいくつか生まれたこともあり、沖縄民謡や三線という楽器のイメージ自体は、みなさん知っていただけているようです。

三線のルーツは中国にあり、室町時代に現在の沖縄県である琉球王国に伝わり独自の発展を遂げたものです。さらにその後本土に渡り、三味線にカタチを変えていったといわれています。

名前の通り三線は弦が3本で、他の弦楽器に比べ弦の数が少ないのが一つの特徴です。この点は三味線と同じなのですが、大きさや棹、胴の革の部分の材質(三線はニシキヘビを一般的に使う)が違ったり、演奏の時に用いる爪やバチの違いがあったりします。なかでも「工工四(くんくんしー)」と呼ばれる独自の楽譜が特徴で、五線で表す音楽の演奏とはここが大きく違います。

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その中でも大きな特徴の一つに、(演奏と歌の)ハモる音が、西洋の音楽では普通はしない組み合わせになっていることがあります。

一般にハモるときは、3度か5度ずらすとバッチリ決まった感じの和音になるため、普通はそう音を重ねます。2度でハモると音がぶつかっているように聞こえるので、西洋の音楽で基本的には使わないんです。

しかし三線では、あえて演奏の音程と2度ずらす歌い方があります。例えば、「ド」を弾きながら「レ」を歌うイメージです。私自身、最初は当惑することもあったのですが、基本的にありえない2度のハモリが、なぜかごく自然な形で表現できるのが、独自の味わいの一つとして感じられるようになりました。

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私が三線を始めるようになったのは、小学校4年生の時に始めた三線教室からです。母親が石垣島出身で家でCDを流していることが多く、沖縄民謡には子どもの頃から触れる機会が多くありました。直接の接点はないのですが、ひいおじいさんが三線を演奏していたということも聞いています。

習い始めてからもう15年。スイミングや他の習い事は、けっこうすぐにやめてしまったのですが、三線だけは変わらずずっと生活の中心であり続けています。

理由として思うのは、純粋に音楽が好きだったこと、沖縄民謡に子どもの頃から慣れ親しんでいたため、日常の中に自然に溶け込んでいたことが大きいでしょうか。そしてもう一つ、ずっと教えてきていただいた井上先生の人柄や考え方が、非常に大きかったと思います。

【2】子ども扱いをせず、できるまでとことん教えてくれる先生に出会えたこと

最初はまだ子どもの頃ですから、思いつくままに自己流に弾いたり歌ったりしていることが多かったのですが、先生はどんな時もまずそのやり方を受け入れてくれました。一緒に面白がっていただいて、そこから技術を上げていこうという順番なんです。たぶん、決められた流儀のなかで枠にはめ込もうとされていたら、とても続かなかったでしょう。

半面、子ども扱いされることがなかったことも良かったと感じています。もちろん説明などはわかりやすい言葉で噛み砕いてしていただいたのですが、一曲を完成させるゴールは周りの大人の人より易しくはなかったはずです。子供だからという限界を作らなかったことで、表現の面白さを深く知ることができた。そういった「できるまで何回もとことん教えてくれる」先生の姿勢は今も変わりなく、とてもありがたいことだと思っています。

デビューポスター

CDデビューをしたのは2014年9月、20歳の時です。デビューと言っても、そんなに大それたものではなく、「こんな曲があるのだけど、どうかな」と先生から話があり、「だったらやってみよう」と、本当にごく自然体のスタートでした。

それまでも先生と一緒に、人前で三線を披露することはあったのですが、自分が主役としてお客さまからお金をいただくというのはデビューしてからです。そのため最初のほうは、「ちゃんと弾かないと、しっかり歌わないと」と、うまくこなすことに意識を置きがちでした。

でも経験を重ねていくごとに、そういうことじゃないなって。私自身、沖縄民謡を聞いて楽しくなったり、元気づけられたりしてきた。そういう演奏であるべきではないかと。そのためにはまずは自分が楽しんで演奏することが大事だと感じたのです。

沖縄民謡の歌詞は、どれもとても面白いです。日常の何気ないシーンを表現することが多く、あるいは自分の住んでいる島がどれだけ素敵な場所かを延々と歌ったり(笑)

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▲「第10回いーちゃイチャフェスティバル」

であれば、現地に住んでいる方々の、身近すぎるからこそ見えにくくなっている島の魅力を、あらためて実感してもらう場になるのではないかと思いました。

まだまだ私も若輩ではあるのですが、その中でも年を追うごとに歌の魅力が理解できるようになり、表現スタイルも少しずつ変わってきています。沖縄で生まれ育ってはいないけれど、ルーツは沖縄にある。そういった客観的な思い入れを生かした私なりのスタイルがあるのではないかと、少しずつ考えるようになりました。

【3】お客さまとともに一体感を感じられるライブでありたい

ライブは沖縄料理屋さんなどで行うことが中心です。お客さまからミュージックチャージをいただき、沖縄料理とともに音楽を楽しんでいただく形式です。おおよそ2時間、15曲ほど演奏するでしょうか。そのうち3曲が私のオリジナル曲で、その他はみんなが知っているような楽曲や、他のミュージシャンさんからお借りしたりしています。

ライブ風景

ライブの規模は30~50名程度の小規模が一般的なのですが、私はこれくらいがちょうどいいと考えています。お客さまの表情がしっかり見えて、一体感を強く感じられるからです。終盤になるとみんな立ち上がって踊ってくれたりと、そういう明るいノリになれるのが、沖縄民謡の良さでもあります。

ただお酒の席になると、どうしても大人の方が中心になるため、今後はお子様連れで楽しんでいただいたり、若い方に集まってもらったり、三線の世界をより広い世代に発信できる機会が増えるといいなとも思っています。

おかげさまで、石垣島でもライブができました。大好きな沖縄のラジオ番組でプロモーションの機会をいただいたり、いくつかの局に出演する機会もありました。またネット上で動画を上げると「こんな面白い歌があるよ」と教えていただいたり、SNSのおかげで今までとはまた違う新たなつながりが増えてきました。もちろん、ライブでは娘のように長く可愛がっていただけるお客さまも多く、三線を続けてきて良かったなと、あらためて感じています。

【4】薬学部を目指したのも子どもの頃から。風邪になったときの不安が原体験

ただ最近は学業を優先した生活をしています。昨年もライブを2本していますが、まずは大学の授業に集中し、卒業することそして資格を取ることに重きを置いています。

私が大学で主に学んでいるのは、薬学部のなかでも予防医学にかかわる分野です。予防医学を専門として持っている薬学部はあまりなく、そこで今の横浜薬科大学を選びました。

薬学の領域に興味を持ったのも、まだ子どもの頃です。風邪で病院に行ったときに、先生が分厚い書物をもってきて広げる姿を見て、「え?単なる風邪じゃなかったの?」と、ものすごく不安になった経験が原点になっています。

その時、「自分自身が薬に詳しくなって、患者さんに『大丈夫だよ』と安心させてあげる存在になりたい」と思ったのです。それが小学校の頃、そして中学生になってすぐ進路を薬学部に決めました。それ以降、一度も他の仕事に就きたいと思ったことはありません。それがごく当然のこと思って、今まできています(笑)

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でも大学入学してみると想像以上に大変でした。授業についていくのもテストも(笑)。さらに5年生になってからは実習が中心になり、病院・薬局それぞれ2か月半ずつ勤めました。ここでは教科書で習った内容だけではとても収まらない実践的な知識が求められ、大変ではあるのですがとても勉強になっています。

いま薬局や薬剤師の仕事が、国の方向性のなかでも大きく変わろうとしています。一つは在宅対応であり、さらに「かかりつけ薬局」としての役割を求められるようになったことです。

未病・予防医学というテーマは、まさにこの方向性の中にあるもので、薬の知識だけにとどまらない、広く健康全体について理解を深めていく必要があることが、大きなやりがいになると感じています。

以前、やはり音楽をしている薬学生が「ボイストレーニングを組み合わせた薬局があると面白いのではないか」と話をしていることを聞いて、「もっと自由に考えていいんだ」と驚かされた経験があります。もちろん医療の世界なので、なんでもありにはなりませんが、歌を歌うことの健康への効果はよく言われていますし、人が集まりコミュニケーションの機会が増えることも健康的に意味があるはずです。

いつも目の前のことにいっぱいいっぱいになっていた私ですが(笑)、この時を機に、学生だからこそ考えられる柔軟な発想で、未来を見据えることも大事だなって思えるようになりました。

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将来的には東京に残るか沖縄に行くか、それ以外にも選択肢があるかわかりませんが、転々とした生き方もいいのではないかという思いがあります。そして、子どもの頃からずっと続けてきた三線と、ずっと目指してきた薬剤師というお仕事と、何か上手に融合できる私らしい形をつくっていけるといいなと。

でも、そのためには今は何よりも勉強(笑)、まずは目の前のことに一つ一つ真摯に向き合って、全力を尽くすことを大切にしていきたいと考えています。