谷岡 梓 さん

谷岡 梓 さん

profile_title
愛媛大学 教育学部 特別支援教育教員養成課程聴覚言語障害コース。愛媛大学聾教育研究会会長、2013年学園祭 手話劇隊長

■ 谷岡梓さんのこれまでの主な活動

〇障害者教育に関する活動
・愛媛大学聾教育研究会 2年時から会長。サマーキャンプなどを主体的に運営
・第21回全国盲ろう者大会など、さまざまな大会のスタッフとして参加
・2013年学園祭 手話劇隊長 「ブレーメンの音楽隊 ♪♪」公演

〇その他教育に関する活動
・愛媛大学が市内の小中学校と連携して行っている「フレンドシップ事業」の一環である地域連携実習に参加

■谷岡梓さんインタビュー

【1】福祉の進路を選択したのは、ごく自然な流れだった

手話というと、みなさんにとって縁遠いものかもしれません。少しとっつきにくいものだったりするかもしれません。でも実は英語や他の語学よりずっと覚えるのは簡単なんですよ。身振り手振りイメージで伝える言葉なので、その雰囲気や感覚で内容を捉えることができるからです。

谷岡梓-3

日常生活でも結構便利に使えるので、私たちのクラスでは、ごく普通に手話でやり取りしていたりします。かなり遠くからでも、大声を上げずに用事を伝えられるのが最大の長所で、廊下の向こうの方にいても「私の分もお弁当買ってきて」とか(笑)。アイコンタクトみたいにスムーズにやり取りができるんです。

もちろんあくまで基本は耳の不自由な方のためのものですが、それを変に意識して堅苦しく考えるのではなく、もっと自然に身近に、手話であったり福祉のことを捉えていただける人が増えてくれるといいなって思っています。

いま私は、愛媛大学教育学部の特別支援教育教員養成課程・聴覚言語障害コースに通い、主に聴覚障害の子どもたちの教育について学んでいます。こういった専攻は、多くの人にとって馴染みのない、あまり一般的ではない進路かもしれませんが、実は私にとっては自然な流れでした。小学生の頃、同級生に発達障害の子がいて、身近な存在として一緒に過ごしており、とても関心あるテーマだったからです。

もちろん幼い当時、障害という意味への理解はありません。ただその子と過ごしていた日々の生活の中で、体育や音楽の授業は一緒なのに、教科教育になるといなくなったりすることに、何となく不思議な思いがあったり。「何か違うんだろうな」という漠然とした感覚はありました。

谷岡梓-7

子どもにとっては、そういう違和感に「怖さ」を感じることもあるようなのですが、私にとってはそれは「関心」でした。同情でも好奇心でもなく、「違いを違いと認識したまま」ごく当たり前に、一緒に遊んだり絵を書いたりしていたのです。ひょっとすると、当時から大人と話すのに慣れていたので、「自分と違うこと」に対する警戒心が薄い性格だったのかもしれません。また母親が本当に明るく世話焼きのタイプだったので、その影響を受けたのも多分にあったと思います。

中学に入ると、さまざまな場所から生徒が集まってきます。障害のある子と接したことがない人もいれば、また違った障害を持った子もいたりします。しかし私はどんな子たちともコミュニケーションをとるのは得意なつもりだったので、これまで同様、ごく普通に仲良くできると思っていました。

けれど実際にはそう簡単ではありませんでした。それは「障害のある子たち」という括りで接することが間違いだったからです。抱えている障害や問題は、人によってさまざまで、その立場に合わせてすべて違う姿勢で付き合わないといけない。最初はそれに気づけなかったのです。ただ不思議と私は、上手くいかないことが億劫になったり嫌になったりはしませんでした。逆に人それぞれの多様性であったり、その多様性への向かい合い方の関心の方が強くなっていったのです。

その後、高校に入ると進学校でもあり必然的に障害ある生徒は校内にいなくなります。それは私にとってはすごく不思議なことであり、寂しさも感じていたことを覚えています。

【2】特別支援教育こそ教育の原点にあると考えた

私は子どもの頃から周りの環境に恵まれていましたと思います。特に先生方には非常にたくさんのことを教えていただき、私が進路を考える上で、いつも大きな指針となってきました。先生になろうと思ったのも、この愛媛大学に進学し、地元で働こうと思うようになったのも、その多くが私を支えてくださった先生方の影響と言っても過言ではありません。

谷岡梓-2

そんな子どもの頃から「教員志向」の私でしたが、このように障害のある子たちと関わる中で、「特別支援教育こそ教育の本道にあるのではないか」と考えるようになりました。それは先ほどお話したように、彼ら彼女らとはその「一人ひとりの個性や特徴」と向き合っていく必要があるからです。

一般教育は一つのクラスに数十名ほど在籍し、みんなほぼ一律にカリキュラムを進めていきます。「クラス全体」を見据えた教育方法になりがちです。しかし特別支援教育の場は、クラスに生徒数名です。限りなくマンツーマンに近い指導で、まさに一人ひとりの「個々のニーズに応じた教育」です。そしてその現状や個性、課題に合わせて、何を伸ばしていくべきか、何を克服しないといけないのかを考える必要があります。

そこには型にはまった一律のプログラムはありません。教員一人ひとりの裁量が問われます。言い換えれば、「非常に自由度の高い」教育が行うことができると言えます。私はそこにとても惹かれたのです。

何となく世間の認識では「障害=劣る」みたいに捉えられることは少なくありませんが、私は「障害=苦手」だと考えています。どんな人でも、歌うことや走ることが苦手だったり、メカ音痴だったり、何かしら不得手なものはあるはずです。それと同じだと思うのです。であれば「苦手なことを克服すること」や、「可能性を感じる部分をもと伸ばしていくこと」など、教育に対する考え方が大差あるわけではない。むしろより少数で向かい合える環境の方が、教育者としてのやりがいは大きいと感じました。

そしてその想いをぶつけるために、AO入試で受験することにしました。自分自身がこれまで感じてきたこと、目指すことをあらためて整理するために、それを第三者にしっかり伝わる形で表現できるようになろうと思ったからです。

【3】憧れだったサマーキャンプのリーダーに

いま学んでいる聴覚言語障害コースは、入学後に変更して履修することに決めたものです。そのきっかけになったのが「サマーキャンプ」と呼ばれる取組みです。これは県内の聾学校などから生徒(小学生高学年~中学生)を招待し2泊3日で開催されるもの。実際に聴覚障害(ろう・難聴)を持つ子どもたちと寝食を共にすることで、障害の実態に触れます。先生方や保護者様の参加は一切なく、学生のみで運営します(特に中心となるのが2回生です。他学年は「参加」という形になります)

谷岡梓-10

知的障害や読み書き障害などを重複している子どもたちもたくさんおり、様々なコミュニケーションエイド(手話・口話・指文字など)を用いて交流を図ります。年齢こそ我々が上ですが、参加児童生徒はネイティブな手話話者です。「思い出に残るキャンプにしよう!」なんて偉そうなことを言っていますが、実際は子どもたちから学ぶことの方が多かった気もします(笑)

また、キャンプの主役である子どもたちには、同じ障害を持つ者同士の交流の場として学校や学年、聞こえの程度やコミュニケーションエイドが異なる仲間との「友達の輪」を広げられる機会になるように頑張っています。準備期間は施設の手配や参加募集、運営計画など全て含めて9か月間。準備に並行して、手話や補聴器・人工内耳の取り扱い方法を学びました。

ここでは50名ほどの大学生がボランティアで運営にあたり、聾教育研究会という団体が全体を統括しているのですが、1年生の時に参加してその時の先輩の姿が素敵でまぶしくて。「来年は絶対私が会長として参加するんだ」って決心したんです(笑)。そのために履修も変更しました。

1608554_413280965468600_617527641_n

今年度のサマーキャンプは昨年の8月に開催しました。今年は特に野外炊飯や川でのレクリエーションなど、普段はあまり経験できないことにチャレンジしてもらえるような内容を組みました。また、聾学校などの小人数校では小規模行事になりがちな「運動会」も実施しました。

もちろん、楽しさだけでなく安全と健康には十分配慮しました。運営においては、基本的な取り組みは同じでも、その細部一つひとつにきめ細やかな対応をしていこうと考えました。食事の時の「いただきます」から「ご馳走さま」までなど、そのアクション一つひとつを、模造紙で文字に書き起こして共有するのです。その中でも文字を読むのが苦手な子ども向けに、大きさや文字量などに気を配ったり、ルビをふったり、時間は数字だけでなくて、時計を絵にして見せるようにしたり(時計は針が動かせるようなモデルを作りました)

施設の入所案内や朝・夕べの集いでは、会場にホワイトボードを持ち込んで要約筆記、その隣で同時手話通訳をすることで情報保障をしました。私は手話通訳をしましたが同時って難しいですね。緊張で手が震えました(笑)

ここでは日頃の教室とはまた違い、さまざまな障害を持った子どもたちが一堂に会し、一緒に時間を過ごします。ここであらためて、人によって障害の特性や程度が違うこと。育て支える方法も違うことを再認識することになります。そして同じ想いを持った学生同士が集い、お互いに意見を言い合ったり、それぞれの取組みや考え方を共有するのも勉強になりました。そして生き生きと活動してくれる子どもたちの輝く笑顔は今も忘れられない素敵な思い出です。

1544161_413280972135266_480901431_n

これら学内の活動以外にも、積極的に外部のイベントには顔を出しています。例えば、昨年8月には全国盲ろう者大会が松山の会場で、参加者635名(内盲ろう者201名)という大きな規模で開催されたので、私はそのスタッフとして参加しました。手話の内容をテキスト化してスクリーンに投影したり、その他事務方のお手伝いをさせていただきました。ここでは、女性のろうあ者の社会進出について議論が行われましたが、仕事・教育・子育てなどを切り口としたディスカッションは、日頃学んでいる世界とはまた違うテーマであり、社会の現実や課題をあらためて知る機会となりました。

このように、さまざまな分野の研究会には積極的に顔を出し、視野を広げることは大事にしています。「何の役に立つか」とか考える前に、自分なりに「ピン!」ときたらどんどん訪問し、飛び込んでいく。それを信条にしています。教育という仕事に携わろうという者にとって、社会で起きていることを知ることに無駄というものはないのではないかと思っています。

また「教育」という面では、愛媛大学が市内の小中学校と連携して行っている「フレンドシップ事業」の一環である地域連携実習に参加しています。空きコマを利用して、週に1~3回市内の小学校に実習に行き、学習支援等の活動をしています。地域に根差した大学だからこそできる取り組みであり、実習生として現場に立てる機会を豊富にいただけることに感謝しつつ活動しています。

【4】脈々と受け継がれる人と人の繋がりの中に身を置いて

松山に限らず、四国には「お遍路文化」というものがあるのをご存知でしょうか。四国には八十八箇所の霊場があり、お遍路さんとしてこのコースを回られる方が非常に多くいられるからです。

谷岡梓-17

そのため四国の人には、「見ず知らずの旅人を温かくもてなす」という風習が当たり前に根付いています。私自身も小学生の頃、祖父と霊場巡りをしたことがありますが、どの町でも休憩所では飲み物やお菓子や、たくさんのおすそわけをいただけて、とても「おもてなし」の気持ちが温かいんです。これは新しいものや多様性への受け入れに寛容な文化とも言えるでしょう。それもあってか、お遍路さん同士も打ち解けて仲良くなりやすかったりするのです。

いま松山の町は、この「おもてなし」の心を町のシンボルとしてアピールしようと取り組んでいますが、このような脈々と受け継がれている、その地域ならではの歴史とか文化とか、そういうものに私はとても惹かれます。先人たちの取組みがあって今があること、助けて助けられて人と人が繋がり、新たな時代を育んでいくこと。地方都市にいるからこその、そういった時代の流れを感じることができるんです。私はこの松山の町がとても好きですし、であれば積極的に「歴史を受け継ぎ、次の世代に繋いで行く」その中に身を置きたいなって思ったんです。

谷岡梓-13

そして今の私を形作ってきた、周りの人からのたくさんの好意やサポートや、そういったものへの感謝を、この町に残したい。その最も分かりやすい形が教育なのではないかと。

もちろん「教育者になるには、もっと外の世界を見たほうがいい」という意見もあります。でも私は「今までの人生で最高の選択は松山東高校に入学したこと」と言えるくらいに、高校の時の時間や仲間が好きで、そこには(過去にこのインタビューに登場している)高岡春花さんとか、遠くで頑張っている「良きライバル」と言える存在がある。松山に帰省するたびに顔を合わせては語らい、刺激を貰える関係がある。だから私は、大学卒業後もずっとこの町で地元の深い付き合いを優先したほうがいいのではないかなって今は思っています。

大学生活もやっと2年が経過した程度。まだまだ見えないもの学ばないことはたくさんありますが、その中から少しずつ「自分の理想に忠実に、そして攻める気持ちを強く持った」そういうポジティブな「地元志向」の生き方を、自分らしく作れればいいなって思っています。例え小さなコミュニティであっても、その中で大きな存在になれるように。