伊澤 優花 さん

伊澤 優花 さん

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東京大学経済学部。「学生日本酒協会」代表、「食と農林漁業大学生アワード」でグランプリ受賞。「きき酒師」資格保有

■ 伊澤優花さんのこれまでの主な活動

〇日本酒に関する活動
・実家が仙台の「勝山酒造」。1688年(元禄元年)創業。仙台藩伊達家の御用酒蔵として、お殿様に飲んで頂く最高の酒を造っていた歴史を持ち、現在で12代目。
・「きき酒師」資格保有 
・「学生日本酒協会」設立。これまでに、一ノ蔵を楽しむ会(鈴木常務を招聘)、獺祭「日本酒の海外進出」、日本酒美容女子会など、さまざまな企画を開催。
2013/11/17「食と農林漁業大学生アワード」でグランプリ(農林大臣賞)を受賞。
※結果発表参考 http://dimo.jp/archives/blog/shoku-no-kizuna-jp_award
・第308回北杜会にて講演 「若者に日本酒を!~学生きき酒師の奮闘~」(2013/4/20)
「2014 ミス日本酒(2014 Miss Sake)」ファイナリスト11名の一人にノミネート

■ 伊澤優花さんインタビュー

【1】「食と農林漁業大学生アワード」で農林大臣賞受賞

この11月、農林水産省主催の「食と農林漁業の祭典JAPAN」というイベントが、1か月間にわたり都内さまざまな場所で実施されました。そのコンテンツの一つに、食や農林漁業に関わる取組を行っている大学生グループによる活動発表コンテスト「食と農林漁業大学生アワード 2013」があり、全国からノミネートされた11団体による、最終プレゼンが11/7に開催されました。

そして私たち「学生日本酒協会」も選考を勝ち抜きその場に臨んだのですが、そこで何とグランプリ(農林水産大臣賞)を受賞することができたのです。

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発表された方々は、みなさん非常に魅力的な活動をされ実績も多く、より農業色強いプレゼンが主流でしたので、正直なところ、まさか私たちがグランプリをとるとは思ってもみませんでした。

しかし後ほどお聞きしたところによると、他のみなさんの活動が、地域に特化した内容のものが多かったのに対し、私たちが目指す「日本酒の若者への浸透や世界への普及」という取り組みに、スケールの広がりを感じていただけたのが選考理由として大きかったようです。また東京オリンピック招致決定によって盛り上がるであろう、「日本文化の魅力の掘り起こしと発信」というテーマ性にも合致するのではということもありました。

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いずれにしろ、こういった若い学生世代が集まるイベントで、日本酒の魅力や可能性がクローズアップされたことはとても嬉しいことで、私たちが目指すことの可能性に自信を持てるきっかけとなりました。また同じ登壇チームの中から「一緒にコラボしよう」という提案をいただいたり、そういう横のつながりが生まれたことも、とてもありがたいことでした。

【2】仙台藩伊達家の御用酒蔵として由緒ある蔵元の娘として育って

まだ20歳になったばかりの私が「女子大生とはちょっと距離の遠そうな」日本酒に関する取り組みに積極的なのには、私の生い立ちに一つの理由があります。それは蔵元の家の生まれだということです。

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私の実家は勝山酒造と言います。1688年(元禄元年)に創業し、仙台藩伊達家の御用酒蔵として今も変わらず最高の酒造りにこだわって歩んできた蔵元で、父親で12代目となるかなり由緒ある家系です。

子どもの頃は、蔵が祖父の家に隣接していたので、”おじいちゃん大好きっ子”だった私は、いつも学校帰りに立ち寄っていました。お酒を醸す香りが漂ってくるその空間がすごく好きで、蔵に入るとなんか落ち着く(笑)。そんな子供でした。

ただ当時は、「日本酒が大好き」「日本酒業界のために」というほどの思い入れは特にありませんでした。むしろあまりに身近なもので、「日本酒は日本の誇れる伝統文化であり、美味しくてクールなもの」であることが当然として育ってきましたし、その素晴らしい魅力が私のアイデンティティでもありました。

しかし仙台を離れ、東京の生活を始めて見ると何か様子が違う。「美味しい」とはとても言えないお酒が当たり前に出てくるし、若い世代にとって日本酒は何か遠い存在。「美味しい」イメージを持っている人も、「大好き」と言ってくれる人もごく僅か。私が愛する日本酒の、そんな悲しい現状をみて、「自分の当たり前は当たり前でなかったこと」に気き、潜在的な日本酒愛(笑)が呼び覚まされたんです。

そんな想いが、今の学生日本酒協会の活動の原点になっています。

【3】気負いとプライドが自分を追い詰め、不登校に

伊澤の家は、蔵元として長い歴史を持つだけでなく、事業家として非常にバイタリティあった祖父の代に、さまざまな事業に積極的に乗り出しました。”杜の都の迎賓館”と名呼ぶ「勝山館」、宮城調理製菓専門学校、日本料理やイタリアンなどのレストラン、美味しんぼでも紹介していただいた、完全無添加ソーセージなどの食品製造、さらにはボーリング場やスケート場なども運営し、まさに地元の名主的な存在でした。その中で私は、たくさんの愛情に囲まれて育ってきました。

勝山酒造にて

もともと私は負けん気が強くて、何でも頑張る癖がありました。小さい頃は、編み物とか料理とかモノづくり的なものがすごく好きで、かなり得意だったと思います。勉強も自分からけっこうハードな学習スケジュールを組んだり、貪欲に頑張り結果を出してきました。

そして成果を出すたびに、祖父は凄く褒めてくれ、祖父の周りに集まってくる大人たちに自慢して、その人たちの「凄いお嬢さんだね」というセリフに嬉しそうな祖父を見ては、私もより一層「頑張らないと!」と考えて・・・

しかし、どこからか少しずつ歯車がずれていったのです。もともとは好きだからやっていたはずなのに、「認めてもらうため」が目的になっていった。周りからは天才とか神童とか言われ持ち上げられても、自分ではそうじゃないことは分かっていて。でもプライドは高かったので、それがばれないように必死に勉強したし頑張った。そういった周りの目線と自分の自分自身への評価の乖離が自分を圧迫し、バランスを崩していったんだと思います。

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そして協調性を失い、体調を大きく崩し、やがて不登校となり1年間別室登校をするまでになりました。ですから、みんなのように先生の授業は受けられず、さらに一人黙々と勉強を続ける日が続きました。でも当時は「仙台二高に入りたい」という強い想いがあったので、それだけが自分の張合いでした。「内申書が重要視される高校にはとても進学できない。でも二高なら試験の結果だけで認めてくれるはず」と信じて。

幸い二高への進学は叶いました。そして少しずつ体調も戻り、性格も明るくなり、だんだんと当たり前の生活が送れるように。そして東大に合格できるまでに、自分自身成長することができました。

【4】自分をバックアップしてくれているたくさんの人の存在とありがたみに気付いた

今もまだプライドの高い性格ではあるかもしれません。私の場合、夢はホンワカしたものというより、かなりギラギラした野心に裏打ちされていたりもします。

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でも以前とはかなり意識は変わってきたのではないでしょうか。東京に来て1年半がたち、今まで見えていなかったものに気付くようになったからです。それは自分がとても恵まれた環境にいたこと。たくさんの人に応援され心配してもらっていたという事実です。

例えば高校で文転(理系から文系に転換)した時、当時2年の担任の先生に「君に期待している先生は多いんだ」と言っていただいたこと。それまでずっと学校に居場所がなかった自分が、初めて自分を肯定できる気持ちになれた。また化学の先生は、直接の担任ではないにもかかわらず、絶えず気にかけてくれ、今でも励ましの言葉やアドバイスを送っていただいたりします。

でも当時は、そういう優しさや心遣いのありがたみを理解することができていなかった。真っ直ぐ受け止めるだけの余裕がなかった。ですから、いま仙台を離れ、自分のこれまでを客観視できるようになって、素直に感謝の気持ちを持てるようになってきたのではないかと。地元に帰るたびにそういう思いを強くします。

仙台二高のOBの方々には、現在手掛けているさまざまな活動でも応援いただいています。学生日本酒協会設立のきっかけも二高の先輩に連れていただいたお店がきっかけ。日本酒に造詣の深いオーナーさんと、そこでアルバイトしていた小松さんと「日本酒の未来」について語り合い意気投合し、一緒に団体を立ち上げることになったんです。

その後、二高のOBが集まる北杜会で、学生日本酒協会を含めた私の取組みのプレゼンをさせていただいたり、またこれらのOBの繋がりで、「酒のペンクラブ」という誌面で日本酒に関するコラムを書かせていただいたり、さまざまな方からたくさんのチャンスを与えていただいています。

一方で私は今「東大ドリームネット」という団体にも所属しており、ここでは東大OBの先輩と現役学生が、将来のキャリアを語りあう場を設けるなど、世代を超えた繋がりを通じたさまざまな企画を実施しています。ここでもOBの皆様にはとてもお世話になっており、活動やネットワークの幅が着々と広がりつつあるのを感じます。

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また今年開催された「ミス日本酒」のコンテストでも、非常に感動的な出来事がありました。実はこのコンテストで私はファイナリストの選考まで残ったのですが、最終選考直前になって5月生まれの私は「2013年4月現在20歳〜28歳」という応募資格を満たさないことを理由に、「出場辞退」を勧告されたのです。応募時点では20歳になっていましたし、そもそもこの基準があるなら書類審査、二次審査まで通り、ファイナリストに選ばれること自体がおかしくて、とても納得できなかったのですが、泣く泣く諦めました。

しかしそれを知った友達や先輩やお世話になってきた方々、さらに知らない方からまでも、ものすごく多くの励ましのメッセージをいただいたのです。「お誕生日でもこんなには貰えない!」というくらいに。これは本当に嬉しかったですね。そしてその中には「周りのお膳立てに乗るんじゃなくて、自分で場を創る側になればいいよ」などと言った言葉も多く、確かにその通りだと。自分自身が率先して日本酒の未来のために頑張る意をより強くしました。結果的にこのイベントへ出場したことは、私にとって大きな財産になったのです。

このようにたくさんの方々と出会い、その好意に触れる機会が増えたことによって、「日本酒の将来のために」という自負や野心は、相変わらず強いままでも(笑)、そこに新たに「お世話になったみんなのためにも」「周りの方々の役に立てるために」という思いが加わりました。それによって、考え方の視野が広くなったり、より柔軟に物事を捉えられるようになってきたのではないかと思っています。

【5】日本酒の将来のために、したいこと伝えたいことは無限にある

来年早々、外国人向けの日本酒セミナーで勝山酒造が協力させていただくことになっています。これは私たちがずっとお世話になってきている、ある酒店さんの企画で、100名もの外国の方に、日本酒の魅力を知ってもらおうという試みです。ここで勝山酒造としてもプレゼンを行うのですが、父親から私の英語力とプレゼン資料の作成力を期待され(笑)「是非一緒にやらないか」って。これは、初めてのオフィシャルな親子共同作業でもあり、それが今すごく楽しいんです。

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もっとも以前から売り場のお手伝いはしていました。東京でのプロモーションがあるたび、百貨店などに出向いて、勝山のお酒を売る機会があったりするのですが、そこで私は法被を着て売り子になるんです。

やはり自分の家のお酒ということで気合が入っているのと、若い女性が頑張ってることへの注目なのか、けっこういつも売れ行きがよくて、それが嬉しかったり、お客さんの求めているものをその場で感じられるがゆえに得られる気付きも多くありました。そして「こうやってお父さんを手伝えたり、一緒に頑張ることができるってすごく幸せな事だし、楽しい」って感じるんです。

以前はプレッシャーの場所だったかもしれない、我が家の伝統や歴史。でも実は、それは私が安心できる場所でもあり、さまざまなチャレンジの起点でもある。そういうことを感じるようになりながら、これからさらに活動の幅を広げていきたいと思っています。

もっとも、私がしたいこと、伝えたいことはあまりにもたくさんあって。何を優先していくべきか、どういう順序で追っていくかはまだまだ分からないところだらけです。

「ホンモノの日本酒の魅力を若い世代に知ってもらいたい」「さらに海外にも発信していきたい」「作り手の想いを皆さんに広く届けたい」「ナパバレーのワインクラブのようなコミュニティを作っていきたい」「日本酒を通じてさらに食や器や日本文化の魅力も合わせて届けていきたい」・・・など、言い出したらきりがありません。

でもその軸になるのは、「日本酒は私達日本人の生活に寄り添って育まれてきたものだ」ということを広く知ってもらうことではないでしょうか。

新年のお屠蘇に始まり、結婚式、地鎮祭、祝賀会、選挙などでの祝杯や鏡割りなど、人生の節目や晴れの場には必ず日本酒があります。そういう存在であることを、先ず再確認してほしい。いま社会人も学生も、飲みの場の最初の乾杯は殆どが、ビールであったりチューハイだったりしますが、私はここでの日本酒の復権を期待しています。

そして蔵元が魂を込めて醸したお酒は魅力的だということ。例えば大吟醸などのお酒は、お米の60%くらいを 削り落として使うために、「貴重な食料資源の無駄」的な意見があったりもします。しかし日本酒はお米のダイヤモンドのようなもの。ダイヤモンドのように職 人が心を込めて手掛け、磨き、輝かせるものです。まさに「日本の心が醸す芸術品」だと私は思います。「日本の心の結晶」です。その感覚をみんなとも共有し たい。「お米からこんなに美しい液体の宝石ができるなんで芸術だ」とか言わせてみたいですよね(笑)

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一方で生産者側の姿勢や思い、ストー リーをどう伝えていくかも重要だと思います。それこそが日本酒の付加価値でもあると思いますから。日本酒の世界はまさに職人芸で、日本が誇る多くのメー カー同様、高度な技術を持ち、細部まで美しい、どこにも真似できないような「芸術品」を作りあげてきました。日本の財産と言って過言ではありません。

し かし「よいものを作れば売れる」という訳でもない。ここがすごく難しいですよね。高度な技術力や、造り手の思いに裏打ちされた美味しさ、尊さ。そういう魅 力がもっとしっかり伝わるような発信の仕方を考えていかないといけない。そしてより多くの人に、その真価を理解・共感してもらう場を、さまざまなアプロー チから増やしていきたいと思っています。

日本酒に関してはまだまだ語りたいことは無限にあります。ですから日本酒好きの方、日本酒の魅力を 広めたいと考えている方と知り合い、お話ができる機会が増えていくと嬉しいです。学生日本酒協会の中で関わっていただく形でも、コラボ的な外部連携でも、 たくさんの同志が増えて、日本酒の世界がより活性化していく場を創っていきたいですね。

メディアでの紹介リンク(連載など)

・SAKE美人に、日本酒についてのコラム連載 (2015/7~)
・dimo/日本酒コラム 日本の心が醸す液体の宝石「日本酒」の輝きを未来に!(2014/2~)
その他、「酒のペンクラブ」で、日本酒に関するコラム執筆