高岡 春花 さん

高岡 春花 さん

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お茶の水女子大学 生活科学部人間生活学科生活社会科学講座。一般社団法人「リディラバ」 にて約3年活動、「manma」創設メンバー、副代表

■ これまでの主な活動

一般社団法人「リディラバ」 にて、2012年4月から15年6月まで活動  
「manma」 創設メンバー、副代表
 「manma」の活動を通じて、メディア登場機会多数

■ 高岡春花さんインタビュー

【1】「続けること」それだけで得られるものはとても多い

これまでの大学生活を振り返ってみて、何より強く実感しているのが「続けることの価値」です。私が曲がりなりにも、学生時代の自分に満足できているのは、「一度やると決めたことを、続けてきたからこそ見える世界があること」を実感したことにあります。

とはいえこれまでに、自分の能力の低さにげんなりして、自分の存在意義を見いだせなかったり、組織の方向性が良く理解できなかったり、「続けている意味ってあるのかな?」と思ったことは何度も何度もあります。正直、距離を置いて逃げ気味だったこともありました。

でも「辛いからやめる」そういう選択肢はないなとは、ずっと思っていました。「辛いから」は辞める理由にはならないのではないかと。そこだけは自負がありました。

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その「続けてきたこと」は大きく二つ。大学入学直後からお世話になった「リディラバ」。そして2年生の終わりの頃から活動してきた「manma」です。

「リディラバ」は、様々な人がそれぞれの持つ問題意識を持ちよって世の中に発信していくプラットフォームを作ろうと活動している団体です。

「社会問題の最大の課題は、世間の関心の薄さ」と考え、実際にその目で見て感じて当事者意識を持ってもらうためのツアー(スタディツアーと呼んでいます)の運営を軸に活動を展開しています。そもそもは学生発の団体ではあるのですが、今では「株式会社」ならびに「社団法人」として本格的に継続運営されています。

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一方の「manma」は、「いまの女子大生の手で安心して母になれる社会をつくる」をコンセプトに活動する女子大生の団体で、主に「家族留学」などの取組みを行っています。

「家族留学」とは「女子大生を中心としたプレママ・プレパパ世代が、お子さんのいるご家庭に1日留学し、母と子供の関わりを見たり、キャリアの話を伺うことを通して自身の将来を考える」企画です。非常に反響がよく参加者は着実に増え、たくさんのメディアにも紹介されてきました。こちらには団体の発足時点から関わり、今は副代表と言うポジションに就かせていただいています。

【2】時代を代表する学生リーダー2人を、間近に見てきたのは大きな財産

この2団体とも、社会的なミッションを強く掲げた活動をしています。そしていずれも強烈なカリスマ性を持ったリーダーがいます。リディラバの安部敏樹さん、manmaの新居日南恵さん、二人ともメディアや講演などに登場する機会もとても多く、学外に出て活動をしている同世代の学生なら知らない人が無い存在と言っていいのではないでしょうか。

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そう言う「いまの時代を代表する」二人の姿をずっと間近で見られたのは、まさに私にしかない財産だと自慢できます。自分の理想を貫くために、何もないところから、いろんな人を巻き込んで形を作り上げていく。その考え方、行動力、発信力、スピード感いずれもが突き抜けている。

それゆえに、自分の知識や経験の足りなさ、そして圧倒的な無力感に日々さいなまれたりするのですが(苦笑)、その中でもずっと活動を続けてきたことで、そういう「できない自分」を許容できるようになり、その分、自分の果たすべき役割や自分の個性・持ち味が見えてくるようになる。最初にお話しした「続けてきたからこそ見える世界」は、まさにこの部分ではないかと感じています。

安部さんの凄さは、何といっても圧倒的な「引き出し」の多さと、それらに裏付けられた社会を俯瞰する力。ありとあらゆる学問に精通し、その知識をバックボーンに社会を分析し、未来を捉える。それを超絶なスピードで、形に変え、人を巻き込み、実現化をはかっていく。

その考え方のスケールはあまりに大きくて、私の頭では追いつけないことも多くありました。そして「これだけの頭脳と行動力が必要とされるのなら、私が社会起業家になるのは無理だ」と、引導を渡された(?)存在でもあります。

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いっぽう日南恵ちゃんも、そのエネルギー量、エンジンの馬力の大きさは負けていません。人前でもまったく物おじせず堂々と発言できるし、「安心して表に出せる」リーダー。その信頼感は絶大です。

ただ同じ女性同士であり、年下でもあるので、その分感覚の共有しやすく、親しみやすくもあります。もともと感情表現が苦手だったり不器用な点もあるのですが、徐々に自分の内面や弱さも自然に表に出せる関係になったのか、「スゴイ代表」である反面「可愛い後輩」でもあったりします。

このように考えると、私の「続ける」の原動力は、この二人のリーダーと一緒だったからこそと言えるでしょう。当然最初はよく分からないので、判断は直感でしかありません。しかし「何となくこの人ならついていって大丈夫そう」という感覚と「自分が一度決めた決断を、軽々しく覆すのは嫌」という意地が、結果的にうまくはまった。そういう点では、「運が良かった」と言えるのかもしれません。そしてたぶん、安部さん(のレベル)を先に知って、その後日南恵ちゃんと行動を共にするようになった。その順番もとても良かった気がします。

【3】「理想を語ること自体が目的」になっていたことが負のスパイラルに

私の出身は、愛媛と言う地方都市でもあり、東京のように高校の時から社会問題に取り組んだり、事業を始めたり、そういう文化はありませんでした。同世代の中での差別化と言うか、個性になるものは、テストの結果やスポーツをはじめとする部活動とか、そのあたりの一般的な実績が殆ど。

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でもどの分野でも自分よりスゴイ人はけっこういて、私自身はその中で埋もれがちでした。なので知らず知らずのうちに「未来の夢を語る」ことで自分をアピールする機会が増えるようになったんです。ちょうどその頃、テレビ番組で「社会起業家」と言う存在を知り興味を持って、とても憧れるようになり「社会起業家になりたい!」と言うようになったり・・・

周りにはそういうタイプは居なかったので、よく分からないままに「何かすごい」みたいなイメージで見てもらえるようになる。予想外に評価してくれる。実はそれに味をしめちゃったんです。とりあえず「大きなことを言っておこう」って癖がついた。

でもそういうことを言っていると、それが周りにとっての当たり前になってくる。変なプレッシャーと言うか義務感と言うか、「自分は大きな夢を語りつづけないとだめだ」みたいな感覚が支配してくる。でも実際には何かができているわけでもないし、スゴイことを実現しようとする度胸も無かった。ただただ「理想を語ること自体が目的」になっていく。

その癖は大学に入っても、リディラバの中でもなかなか抜けなかったですね。「自分ができない人間だ」ということを直視したくない。なので「ビジョンを打ち上げる」「方向性は示す」けれど、詰めの作業から逃げる。「自分はコンセプトメーカーで、実務は苦手」と無理のある言い訳をしながら、処理能力の高い仲間に作業を振っていく。

当然、企画を立てるほうが、遂行する実務より楽しいですよね。夢を描いていればいいだけですから・・・。それに自分をアピールする機会にもなりますし。

でも、それでは自分の価値が無いことにも実は気が付いていました。ちょうど2年生になったばかりの頃、以前この「彩才兼備」にはじめて出させていただいたころでしょうか。夢半分そして挫折半分の日々でした。

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変われるきっかけになったのは、3年の夏ころ、リディラバの採用や教育に携わるようになってからです。

そもそも教育する側になるほど、大きな実績も知識もなかったのですが、実は「経験」という財産があったんです。1年の最初の頃から、当時で既に2年以上活動に関わり、いろんな先輩に一から教わってきた。そこで見聞きしてきた暗黙知を、分かりやすく言語化し、後輩に伝えていくこと。それは私にとって、はじめての「私だからこそできた取り組み」でした。

ですから、自分がずっと続けてきたこと。そのこと自体が価値を持ち、組織のためにも後輩のためにも役に立つことができる。それはすごく張り合いがあることでしたし、自信になった。同時に、先輩が今まで話していたことや、行動の背景が何となく理解できるようになり、自分の身になっていくのも感じられた。「自分が無力である」と卑下する機会が一気に減ったのです。

夢を語ること、理想を描くのも大事。でもそれ以上に、自分ができること、できたことを持つことのほうがより重要。そしてもう一つ、「したいこと」を実現するためには「しないといけないこと」を直視するところから始まるということ。この頃から、そういう「リアリティのある大事さ」を強く実感することになり、それとともに、自然に前へ一歩踏み込む勇気も持てるようになりました。

そしてリディラバ引退の際には、みんなが大掛かりな送別会を開いてもくれました。本当にうれしくて、泣いちゃいました。心から「続けて良かった」と思えたし、安部さんはじめ仲間のみんなには感謝しかありません。

【4】「求められる当たり前」のレベルを感じ取り、実現できる存在になりたい

manmaが「家族留学」を始めるようになったのが、その少し後の頃です。それまで団体を立ち上げてからの約一年は、明確な柱となる活動があるわけでもなく、どちらかと言えばビジョン先行で模索の最中。私自身もなかなか役に立てることがなく、中途半端な時期があったりもしました。

しかし「家族留学」が始まって、一気にその流れが変わります。参加する学生からも受け入れる家庭からも、とても大きな反響があり、メディアからの取材も相次いだからです。そしてまず第一に、私自身が参加者側に回りたいと思える、とても共感できる企画だったこと。「自信を持って活動できること」それが嬉しかったのです。

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それまで、リディラバでもmanmaでも、自分たちとしてはみんなのためになる、社会のためになる活動をずっと続けてきたつもりでした。しかし、ツアーでもイベントでも「お願いしてきてもらう」ことが恒常的にありがちです。それに凄く違和感がありました。

もちろん「丁寧に頭を下げる」姿勢は大事ですが、家族留学では、「自分が良い企画だと思ったものが、みんなも素敵だと共感し、周りから自発的に参加したい/紹介したいと集まってくる」。その姿が、とても新鮮で感動的だったんです。

自分が思い入れできることとやっていることが近いこと。自分が素敵だと思うことを多くの人も素敵だと思ってくれること。これは本当に大きな醍醐味です。そして、リディラバで得られた自分自身へのかすかな手ごたえが、より強く感じられるようになった。

一方で、家族留学を始めたことで、家庭と言うものを冷静に捉えることができるようになり、自分の親への感謝をあらためて感じるようにもなれました。ですから以前より、親と連絡を取ることが増えた気がします。

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もう私は卒業間近の残り少ない学生生活ではありますが、その中で意識しているのが「価値観の共有」の翻訳者になることです。先ほどもご紹介したように、日南恵ちゃんの能力は図抜けています。そのため、まだ経験の少ない学生にとっては、その感性や思考が見えにくくなる懸念があったりします。

それが良く見えないままだと、日南恵ちゃんがみんなのためを考えて発言している言葉が、棘のあるものに聞こえてしまう可能性があります。本来言いたいことが、真っ直ぐに伝わらないかもしれない。

そして「新しいこと、大きなことをするためには、これくらいのことが当然」という基準を上げていくのも団体としての大きな使命。日南恵ちゃんの成長スピードに、みんなが取り残されないように、その間を埋めていく。暗黙のコミュニケーションを高いレベルで成立できるように、全体の底上げを図っていく。それが私のミッションかなと思っています。

実際、日南恵ちゃんと出会えたことは、大学生活の中でもものすごく大きな奇跡であり財産で、どんな形であれ、必要とされるなら「人生ずっと関わりたい」と思えるほどの存在です。と同時に「少しでも自分が価値を提供できるように」そう考えています。

幸い私はこの4年間で、安部さんと日南恵ちゃんに「求められるあたり前のレベル」の高さを、身に染みて学んできました。しかしこれから社会人になるにあたって、また違った、そして高度な「当たり前」が求められるはずでしょう。それを読み取り先取りし、そこに自分らしさを重ねあわせていく。そういうことができる存在になっていきたいというのが、今の私の一番の目標です。