細尾 真奈美 さん

細尾 真奈美 さん

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滋賀医科大学医学部医学科。「Medical Future Fes 2014」企画。「日本橋 Medical Innovators Summit」運営。実家は創業元禄年間、京都西陣織「細尾」

■ 細尾真奈美さんのこれまでの主な活動  
                            
◯学外活動
・「Medical Future Fes 2014」企画 (2014/8)
「日本橋 Medical Innovators Summit」運営 (2015/7) 
その他、学生向けイベントでの登壇、協力多数

◯受賞歴
・第2回西予市おイネ賞事業懸賞作文 医学生部門 奨励賞受賞 (2013/10)
・平成26年度 滋賀医科大学 学生表彰受賞 (2014/10)
・学研の家庭教師 第1回「Excelent Partner Award」受賞 (2014/10)

◯その他
・実家は1688年(元禄年間)創業、京都西陣織「細尾」。西陣織の海外展開を行っており、ディオール、シャネル、ルイ・ヴィトンなど、ハイブランドとのコラボレーションによる商品展開は多彩

○ メディアでの紹介リンク
・「ドクターズプラザ」インタビュー 地元の人に望まれた形で、地域の活性化に貢献したい

■ 細尾真奈美さんインタビュー 
                           
【1】脳科学への関心と、手に職を付ける重要性を感じたことで、医学の道へ

医学の道に関心を持った大きなきっかけになったのは、高校1年生の時に読んだ一冊の書籍でした。それは、東京大学大学院の教授であり、薬剤師である池谷裕二さんの著書「進化しすぎた脳」。脳研究の最新の情報を、高校生でもわかるように平易に、そして非常に奥深く描き出したものでした。

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それまで私はどちらかといえば文系的というか、エモーショナルな感覚を重視した生き方をしていました。また、人それぞれの多様性の中から、その心理の本質的なもの、普遍的な部分を探し出したりするのが好きでもありました。

そんな私にとって、「人の感情や行動は、脳の中の電気信号で全て制御されている」というシンプルな事実は、非常に衝撃的な事でした。そして「生命の根幹の部分を学ぶ」医学の領域に強く関心を持つことになったのです。

医学部を目指した理由としてもう一つ、「将来何かしらの商売をしたい」そんな思いも背景にありました。実家は江戸時代元禄のころから続く、西陣織を手掛ける家系なのですが、そういう環境で育ったこともあり、経営に携わることに関心があたからです。

そして母親からもよく、「女性だからこそ、手に職を付けることが大事」「いざという時自分で活路を開く力を持っていないと」と言われてきており、そういう点でも専門性の高いスキルを身に付けたいと考えるようになりました。

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一方で、「書く」ということも、終始一貫私の中のテーマとしてあります。医師の仕事と連動させることも可能ですし、自分ならではの切り口で社会のために発信できるような存在でありたいと考えています。

2013年秋には、女性医師のワークライフバランスについて書いた作文が、「第2回西予市おイネ賞事業作文」の医学生部門で奨励賞を受賞することができました。その縁でいくつかのメディアで文章を書く機会をいただき、「書くこと」を通じて生まれる、さまざまな影響や責任を知るきっかけにもなりました。

【2】大学入学でアクティブな自分への生まれ変わりに挑戦

実は、子どもの頃はひきこもりタイプでした。年が離れた兄と過ごしていたことが多かったためか、同じ年くらいの子の話題にはなかなか馴染めなかったんです。

通っていたのが中高一貫校だったので、一度そういうイメージが定着すると、なかなか変えられなくて・・・。一人図書館にこもって本を読んでいたり、お昼ごはんを一緒に食べる友達がいなくて、けっこう辛かった記憶があります。

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ですから大学生になったら、そういう自分から脱却したいと。アクティブな自分に変わろうと。そんな強い思いで大学生活をスタートしました。

その頃は、勝間和代さんが大人気で、勉強会や読書会がブームになっており、最初はそういう大人がいる場所に出向くところから始めました。この頃はまだ、自分の中では方向性が定まっておらず、振れ幅の大きな時期だったように思います。

大学では、中高から一転、努めて社交的であろうともしたのですが、保守的で同質性の高い医学部の空気にだんだんと居心地の悪さを覚えるようになっていきました。しかも途中で体調を悪くして、それが試験の時のタイミング。さらに再試験を受けるも、牡蠣にあたって見事に一発留年(苦笑)。1年生をやり直す羽目になりました。

【3】素晴らしい人生の師に学んだこと

それでも結果的に良かったのは、この時余裕ができた時間を利用して、会員制人間ドックを手掛ける病院で働かせていただき、大きな学びを得たことです。

そこは富裕層を対象にした人間ドック専用の病院で、私は検査や診察のアシスタントをしていました。私がアシスタントとして付かせていただいた先生はとても厳格な方で、患者さんに向き合う姿勢や、一つひとつの所作、言葉遣いがなっていないと何度も叱られました。正直なところ、当時は恐ろしく思っていたのですが(笑)、今となって患者さんを前にした時、あの時に教えていただいた心構えが活きることが多く、今では感謝しています。

もうお一方、私にとって大きな存在となった方に、早川一光先生がいらっしゃいます。

先生は、「自分の体は自分でまもる」をスローガンに、訪問医療や在宅医療など、住民主体の地域医療に専念してきた方です。大学病院をやめて、住民出資による住民自治の診療所を開設。その行動力、先進性もさることながら、「医療人としての筋」をとても大事にされている方。

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▲「早川一光先生のお話を聞く会」にて

今起きている問題の根っこはどこにあるのか、歴史の必然から描き出される未来についてなど、革新的着眼の中の本質性、普遍性について学ばせていただきました。早川先生のところへは、今でも定期的に仲間と伺わせていただき、貴重な時間をいただいています。

最後にもう一人、中学校の時から通っている英語塾の先生も、私にとって大きな刺激を受けた存在です。

実は私はその塾に入るまで英語がとても嫌いでした。通っていた小学校に英語の授業があったのですが、他の生徒は幼稚園の頃から英語教育を受けていた子たちが多く、付いていけないのは私だけ。ずっと英語に対する劣等感がありました。

でもこの塾に入って、実際に言葉が通じる喜びを知り、語学が好きになった。そして学ぶことは「楽しいことが大事」だなって。その後、好きが高じてその塾に講師として残ったのですが、自分が生徒を指導する立場になった時、「勉強を教える」のではなく「その子の自主的な勉強をトレーナーとして支える」という、その先生のスタイルを真似るようになりました。

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また彼女の生き方そのものにも影響を受けました。そもそもその英語塾は、自分の子供のために始めたものが、評判を呼んで広がっていったもの。そういう身近なところから活動を広げていって、身の周りの人を幸せにして、子育ても仕事も社会貢献もできている。私にとっては、そういう両立の姿が理想です。

それに何といっても立ち振る舞いがカッコ良いんです。定期的に塾のスタッフの食事会を主催してくださるのですが、けっこうな人数がいるにもかかわらず、みんなの分の食事代をサッと支払っていく。お金の使い方に愛があってカッコ良いところも、尊敬しています(笑)

【4】一生付き合える仲間ができたことが最大の財産

1年生の終わり頃から、演劇の公演やライブイベントの主催など、自分自身でいろんな活動を手掛けるようになりました。一方、自分で活動をするうちに、自分一人でなく、もっと医学部、医療系の学生みんなに働きかけて、一緒に学外活動をしたいと思うようにもなりました。

そう考えていたある日、ふと目についたのが、「関西医療系学生交流会を始めます!」というtwitterの文言でした。私は「これだ!」と直感し、すぐにリプライ。「会ってお話しできませんか?」と送った縁で知り合ったのが、大阪医科大学の高梨裕介君でした。ここから、講演会や勉強会など、毎月一回のペースでイベントを実施したりして、さまざまな医療系学生と出会います。活動を続けるうちに輪が広がり、他の地方の学生との接点もできてきました。 

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▲「Medical Future Fes 2014」集合写真

先ほども触れた「おイネ賞事業作文」受賞もこの頃のこと。そこで書いた「女性医師のワークライフバランス」とちょうど同じテーマで大型イベントを仕掛けようとしていた、東大の西村有未さんに「一緒にやらない」と声をかけていただき、「Medical Future Fes 2014」に関わらせてもらうことに。さらに翌年には、「日本橋 Medical Innovators Summit」の運営にも携わりました。

これらの経験の中で、同じ志を持つ同世代の仲間と、一緒にコトを作っていく楽しさや醍醐味を知ることができました。そして何といっても、一緒に作り上げてきたからこそ分かち合える感覚。「一生ずっと付き合っていこう」と思える仲間に何人も出会えたことは、とても幸せなことでした。

【5】家族との語らいの中で、経営についての興味が拡大

私自身、非常に恵まれていると感じるのが、自分のアイデンティティに困ったことがないということです。長い歴史を持ち、いたるところで日本の文化を感じられる京都の街の、300年を超える西陣織の老舗の家で生まれ育ったこと。それは、いつも自分が立ち返れる場所があり、自信を持って誇れるものがあることでもある。凄くありがたいことだと思っています。

最初にも少し触れた、民俗学をはじめ、日本美術、文学や歴史、演劇や日舞や能楽などの古典芸能まで、幅広く興味を持てたのは、そういう環境に生まれ育ったことがやはり要因としてとても大きいですね。ですから医療の道にしろ、それ以外の場であっても、この財産を自分の個性にしっかり相乗させていくことが大事だと思っています。

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家の仕事のことを家族と話すようになったのは、大学生になってからでしょうか。最近は、家族で食事をとる時間はいつもディスカッションタイムです(笑)

私自身は、会社の運営までには立ち入りませんが、いつもいろんな新しいアイデアが、父や兄から生まれてきて、それについてどう思うか、もっぱら消費者目線で意見を交わしています。こうやって話し込むと、アイデアがブラッシュアップされますし、自分自身の感性も磨かれていく。それが面白いんです。

それも細尾の人間は行動力が凄いので、決めたらすぐに動き形にしてくる。商品化されると、お客さんや社会からの反応がダイレクトに分かる。どの点がどのように支持されたか、そうではなかったかが、ダイナミックに感じられる。それが何度も繰り返されると、何となく「上手く行きそうなアイデア」の感覚が掴めるようになってくる。事業について、経営について、そして社会の動きについて、本当に生きた勉強になっています。

【5】伝統産業に新たな可能性を見出す細尾の取組み

西陣は長い歴史を持った、京都を代表する伝統産業の一つですが、細尾はその中で新たな挑戦を繰り返し行ってきた会社です。

というのも、他の多くの伝統産業の世界と同じように、呉服のマーケットは縮小の一途をたどり、同業者や職人の数は減るばかり。今までのやり方では到底維持できないと危機感を募らせてきたからです。

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ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、伝統産業は多くの分業で成り立っています。例えば西陣織なら20工程ほどあります。その一つひとつの作業に専門の職人さんがいて、さらに専門の機械も必要になります。どこか1つの工程の職人さんの技術や、機械を製造する会社が受け継がれなくなったら、それだけで全てに滞りが出てしまう。「自分たち1社だけ良くてもダメ」。その意識が大事な業界なんです。

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▲株式会社細尾HP(トップイメージ)

そのため細尾では、このような多種多様な技術をすべて自社に取り込み、新たな生産体制と技術の継承を行ってきました。それにとどまらず、大胆なデザインを試みたり、海外に積極的に打って出たりと、多くの挑戦を行ってきました。

これらの過程では、多くの反対や軋轢などもあったようでしたが、意志を強く貫き、多くの支持をいただけるようになってきました。最近では、ディオール、シャネル、ルイ・ヴィトンなど、数々の海外ブランドとのコラボなども実現しています。

【6】外から客観視することで見える自分の価値はたくさんある

細尾が、このような独自の挑戦を続けられてきた背景には、父も兄も「自分たちの価値を外から見直す」機会があった点が大きいように思います。父は、大手商社に入社し、その後ミラノのアパレル製造卸売会社へ出向しており、兄も長く海外にいました。「だからこそ新たな西陣の価値を感じることができた」と話しています。

その気持ちは私も多少ながら理解することができます。これまでのハワイへの語学留学や、シンガポールへの留学を通して、海外から自国を見るたびに、あらためて日本の魅力を感じ、自分の置かれた立場や持っているはずの可能性を再確認してきました。もちろん、それは海外経験だけのことではありません。日々いろんな人に会い、いろんな場面に出かけることも、自分自身を客観視し、可能性を広げることに繋がります。

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先日、ある大学生の集まりで話をさせていただく機会があり「来し方と行く末」の話をさせていただきました。「他人の来し方に触れて、自分の行く末を考える」そんな内容です。いろんな人に会う、話をする、また本を読む・・・さまざまな生き方、考え方を自分の中に溜め込んでおくことが重要だと。そうして選択肢を広げておくことで、自分の人生の可能性を広げる、結果自分に自信を持ちやすくなる。

これまでの彩才兼備に登場されていた、同じ医学部の有未さん陽美さんも、同じことを話されていたかと思いますが、私もまさに同感です。

ですから私自身、あらためて自分を客観視するためにも、卒業後は敢えて京都の街を離れることにしました。4月からは、川崎の病院で働きます。今まで全く縁のない未知の土地ですが、街の置かれている環境、病院の施設の充実ぶりなど、「この街だからこそ学べることは多そう」「そしてこの病院で働きたい」と強く願った場所なんです。

もちろん最初は、日々の仕事に付いていくだけで精いっぱいかもしれませんが、その中でも自分らしさを強く持ち、そして社会人になったからこそ見える自分らしさを、新たな場所で発見していきたいと考えています。