長野 美保 さん

長野 美保 さん

profile_title
慶應義塾大学薬学部。「学生団体CISCA」副代表、「次世代医療者育成プロジェクト」リーダー。アメリカ合衆国ペンシルベニア州出身

■ 長野美保さんのこれまでの主な活動 
                   

○ 学生団体系
「学生団体CISCA」・・・「医療系学生に新しい価値観を」を理念に、慶應義塾大学の医療系学生(医学部、薬学部、看護学部)が集まり、講演会からボランティアまでさまざまな活動をする団体。2010年(大学2年時)団体の立ち上げに参加し初代副代表 (2010/4~2011/8) マネジメントグループ(2011.9~2012.8)
「次世代医療者育成プロジェクト」・・・医療者を目指す中高生に医療の魅力、本音や現状を伝え、次世代の医療者を輩出しようというプロジェクト。2013年(大学5年)冬に立ち上げ、リーダー。

○ インタビュー掲載
・医療学生ネット「医療系学生の挑戦vol.2 5月号」
・薬学生ナビ/先輩の活動レポート「日本の医療をより良くするために。シンクタンクのコンサルタントを目指す!」(2013/12/27)

○ その他
・マイナビ就活ガイドブック「薬学生のための就活 スタート号」
・有料老人ホームで介護ヘルパー (2009/5〜2011/8)

■ 長野美保さんインタビュー

【1】「死」への恐怖が全ての原点

6年間にわたる薬学生としての時間もとうとう終わり。この春から私も社会人になります。入学した当時と比べると、今の私は自分でも驚くほど、物事に取り組む姿勢や考え方の立ち位置が、大きく変わってきた気がします。

長野美保1

例えば、「医療系学生に新しい価値観を」をコンセプトに「学生団体CISCA」の副代表を務めたり、医療者を目指す中高生に向けて「次世代医療者育成プロジェクト」を立ち上げてリーダーになったり、学業の枠にとらわれない数多くの活動に携わる機会を得ることができました。そして、その過程でさまざまな魅力的な人に会い、多くの方にお世話になり、たくさんの勉強をさせていただきました。この6年間は「やりきった」充実した日々だったと言えるのではないでしょうか。

私が医療の世界を意識したのは、中学生の頃のことです。その原点は「死」への恐怖です。誰もが一度は通るであろう、この逃れられない事実に気づいた瞬間、私は絶望の淵に引きずり込まれました。自分が死んでも変わらず続くこの社会、なのに突如として自分自身の世界は終わってしまう。それは全くイメージできないししたくもない。それに自分の存在価値自身も見えなくなって。この世に自分は必要なんだろうかとか。そんなことばかり考えていました。

ちょうど多感な時期でもあり、まさにブラックホールに吸い込まれていくような、そんな不安な日々がずっとあったのです。そしてそれは一生付きまとう重い命題だと。必然的に「死」というものに最も近いであろう、何らかの影響を作りえるであろう、医療の世界に関心を持つようになっていきました。

一方で私は小学校の頃から、女性で応援団長をしたり、活発な子供でもありました。思いついたらすぐ動きだしたくなるような部分や、目立ちたがり屋の素質もこの頃には(苦笑)。そういった怖がりなところと積極さ、それは相反するようで実は近い感覚なのかもしれません。考えたくないほど不安な「死という現実」があるからこそ、今を精一杯生きていきたい。そんな想いを強く持って育ってきたことが、今の私の価値観や行動に大きく影響しているような気がします。

【2】小児患者のボランティアを中心に学生団体活動を続ける

大学に入る頃は、「医療の世界ってカッコいい」「収入が良さそう」「資格を持っているのが強みになりそう」。そんなごくミーハーな感覚で、この世界を見ていた部分があります。「学生団体CISCA」に関わるようになったのも、「医療系学生の仲間を作りたかったから」くらいの安易な(苦笑)目的だったりもしました。「業界を変えよう」とか、そんな大それたことは全く考えていなかったのです。

長野美保3

この「CISCA」という団体は、慶應義塾大学の医療系学生(医学部、薬学部、看護学部)が集まり、相互の理解を深めることを主目的に立ち上がったものです。当初、医薬系の大学生5人が中心となって構想し、2010年3月、15名のメンバーで設立されました。

私にとっては、ちょうど大学生活も2年を終えるころのタイミング。日々何となく過ごしていた私にとって、これは自分を変える大きなチャンスになりうるとも思ったのです。そして「薬学部から副代表を出そう」「だったら私が」みたいな、本当に何気ないノリで(笑)、副代表をさせていただくことにもなりました。

活動は、講演会や医療ボランティアなどさまざまですが、その最初のアクションであり中心となってきたのが、小児病棟のボランティアです。活動は母校である慶應義塾大学の大学病院が舞台です。最初の頃はとても交渉ハードルが高く、何度も何度もアタックして想いを伝えて、実現するまでに8カ月かかった、凄く思い入れの深いものです。

現在は、小児患者の子どもたちと、卓球をしたり料理をしたり、また本の読み聞かせなどを、週に一回または月に一回のペースで、定期的に行っています。また季節毎にはイベントの企画や運営のお手伝いをしたり、外泊許可の時に受け入れをできるような宿泊施設のお手伝いをしたり。これは、ドナルド・マクドナルド・ハウスをイメージしたものですが、このようなボランティアを積極的に手掛けてきました。 ※これまでの活動実績参考

子どもたちを主対象に置いたのは、「本質」を学ぶことができるのではないかと考えたからです。大人の方だと、こちらに気を使って言いたいことを我慢したり、無理に合わそうとしてしまうかもしれない。でも子供なら「嫌なものはイヤ」「嬉しいなら喜ぶ」その反応がストレートなはず。そこから学ぶことは多いと思ったのです。実際にとても有意義な勉強の機会になりました。

【3】「医療業界の未来のために」その思いが強くなっていった

このような活動を手掛けていく中で、私には大きな葛藤が生まれてきました。それは「医療業界はこれでいいのか」「この先大丈夫なんだろうか」そんな不安とやるせなさです。

長野美保2

例えば、新薬や最新技術の導入がなかなか進まないこと、地方病院など中堅規模の病院の経営がどんどん悪化していること、高齢化が進み将来病床が不足することに対して有効な対策ができていないことなど、数え上げたら本当にキリがない。

その中でも、「死」に大きな関心を寄せてきた私は、人生の最後の瞬間、人は「自分の死に方を選べない」ことに大きな懸念を感じました。死ぬ場所、治療法、延命するのかしないかとか、価値ある人生の最後の最後の瞬間に、「豊かに死ぬこと」それはどういうことなのか、これは私の中のミッションともいえるテーマとして徐々に大きくなってきました。

このように、業界を客観的に見る感情が育ってきたのは、学生団体の活動を通じて、多くの人に会い、数々の「現実」を直視する機会が多かったからにほかなりません。学校の授業や病院の実習など、日々することがたくさんありすぎるからこそ、多くの場合、それで十分事足りたような気持ちになってしまう。凄く狭い「医療の世界の当たり前」に染まってしまう。

しかし例えば病院を開業したり受け継いだりするなら、経営や財務も知らないといけない。社会の動きを分かっていなければ、時代に流れについていけなくなる可能性もあるし、交遊も広がらない。業界を超えた色々な知識や情報にも敏感でいないといけないと思ったのです。ですから私は積極的に表に出て人と会うことを心がけましたし、そこで感じたことを少しでもみんなと共有したい、そんな思いで活動を続けてきました。

特に私は「ボトムアップ」的な考え方をするタイプ。ごく一部のエリートだけがそういう高い意識を持つのではなくて、みんながそれぞれに成長していくような、そんな環境やムードを作っていきたいと考えていました。

【4】中高生向け授業を通じた、医療人材育成プロジェクトを立ち上げ

大学5年の冬に立ち上げた「次世代医療者育成プロジェクト」は、まさに私のそんな気持ちを反映した一つの表れと言えます。

これは、医療系大学生が中学・高校での授業を通じて、中高生に医療に関する新しい気付きを与え興味を喚起するとともに、教える側受ける側双方の医療に対する意識を高め、次世代の医療を担う人材を育成するためのプロジェクトとして立ち上げました。

医療界に訪れている大きな転換期の中で、「次世代の医療に必要な人材とはどのようなものか。これから医療者となる学生は何を考え、何をすべきなのか」、そんなことを模索しつつ、将来の医療を支える仲間を作ろうと考えたものです。

長野美保4

ここでは、サイエンスベンチャーとして幅広い実績を持つ、リバネスさんという会社に教えを乞い、プロジェクトを進めました。同社が運営している「出前実験教室」が、目指すイメージに非常に近かったからです。私たちの経験不足、準備不足などから、構想実現にはかなり時間がかかりましたが、2013年11月に、現役の医者・医学生9名と、医療系の進路を考える高校生40名が集まり、イベントを実施することができました。

医療系を目指す高校生は私が思っていたよりもとても素直で、みんな純粋に人の命を助けられる医療従事者というものに憧れを持っていました。現実には、財政的に厳しかったり、視野が狭くなりがちだという話をすると、驚いたり落ち込んだりする生徒もいましたが、多くの生徒が「医療の世界に、より一層興味を持った」という感想をくれたんです。今起きているさまざまな現実、それをしっかり理解したうえで日本の医療をより良くできる人材が、このプロジェクトを通じて出てくれば嬉しいなと思っています。

自分一人では何も解決できなくても、仲間が集まればできることがあると信じて、今後社会人になってもこの活動を続けられるように努力していきたいですね。

【5】「能動的な死」を実現できる社会を作っていきたい

このようなさまざまな取り組みを実現でするに至ったのは、やはり素晴らしい人と出会うことができ、多くのアドバイスや、サポートをいただけたからこそです。そしてみなさんの考え方や取り組みを見ていて、大きな刺激を貰えたことも大きかった。

「将来は創薬ベンチャーを作るんだ」など、将来に向けて貪欲に、夢大きく視野を広く、それぞれの専門領域で頑張っている人がたくさんいるんです。そしてそういうコミュニティの中で、自分自身も率先してやりたいことを明確に発信していくと、想像以上に素敵な繋がりが生まれたり、そこでいろんなチャンスがいただけ、また新たな可能性が育っていくことが当たり前にある。そんなことにも気づかされました。

長野美保5

ただ一方で、社会には素敵で優秀な人がたくさんいるのに「変わらない現実」もやはりある。長い年月積上がってきた当たり前を変革するのは容易ではない。それも同時に感じたことです。

先ほどお話しした、「豊かに死ねる社会であるために」という私の中のミッション。これはまだまだ勉強不足で、明快な解としてはお出しできないのですが、一つ私の中にある漠然としたカタチは、「能動的な死」という考え方です。それは、自分で決められることを増やすこと。

先生や治療法の選択、人生最後の場をどこにするか、そしてその間の過ごし方。そういった選択の幅が広いほど、自分自身の置かれている環境に少しでも前向きになれ、安らかな気持ちにもなれるのではないか、そして家族や周りの人たちもより納得して看取ることができるのではないか、そう感じるのです。

この春から、私はシンクタンク会社の医療コンサルティング部門で働く予定です。まずは与えられた仕事をしっかりこなし、基本を身に付けつつも、そこから少しずつ自分のやりたいことを実現できる実力をつけていきたいと思っています。

6年間を振り返ってあらためて思うのは、医療ってものすごく大きなテーマだなっていうこと。あらゆる全ての人の人生に深く関わっていますからそれは当然ですよね。一度入りこんだら、とてもそこから抜け出せないくらい没頭してしまう世界だし、給与とかメンツとか、そんなものはどうでもいいと考えてしまったり(笑)。そんな奥深い領域。

でもだからこそ思いを思いで終わらせず、今感じている初心を忘れずに、一生かけて理想の実現に向けて精一杯頑張っていきたいと思っています。