阿部 智佳 さん

阿部 智佳 さん

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福島大学 人文社会学群行政政策学類地域と行政専攻。2014ミスピーチキャンペーンクルー。被災者ボランティアに継続的に取り組む

■ 阿部智佳(あべともか)さんのこれまでの主な活動

○ミスピーチキャンペーンクルー 2014年6月から1年間
~ 活動事例リンク ~
2014ミスピーチキャンペーンクルー決定
古里の果物全国へPR ミスピーチ活動開始
株式会社ラジオ福島スタジオ訪問

○被災者ボランティア
南三陸の震災復興ボランティア、福島大学災害ボランティアセンターなどで、大学在学中ずっとボランティアを継続

○その他、メディア露出
1年生 ガールズアワード 一日限定モデル
2年生 「Cancam」読モ(仙台スナップ企画)

■ 阿部智佳さん インタビュー 
                                       
【1】家族のため地元のために何ができるか。福島大学への編入を目指す

私の実家(祖父母)は、福島で農業を手掛けてきました。春菊、ホウレンソウ、玉ねぎ、じゃがいも、白菜などたくさんの作物を栽培していて、私も小さい頃からその姿を間近にし、美味しい野菜を食べて育ってきました。

しかしご想像の通り、突然その環境は一変しました。2011年3月11日以降、原発事故の影響で、福島の野菜は全く売れなくなったのです。私たちの地区は、検査では基準値以内の数字だったにも関わらず、風評には勝てませんでした。祖父母は、泣く泣く農業をやめざるを得ず、私自身もすごくショックを受けました。私のその後の大学生活は、この時の思いがすべての基点になっています。

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実は私の進学そのものも、震災の影響を大きく受けています。それは受験の後期日程のまさに前日が地震当日だったこと。当然翌日の受験は行われず、その年の後期日程の受験はないままでした。そのため第一志望校は受験することさえできなかったのですが、幸いなことにすでに東北福祉大学の合格をいただいており、無事に進学することはできました。

もともと私は子供が好きで、小学生の先生になりたいと思っていました。ですから、学校自体は好きでしたし、授業も面白かったのですが、一方でずっと引っかかるところもありました。それは、祖父母が福島で苦しんでいる中で、私は地元を離れた生活をしていていいのかということです。もっと家のため、地域のためにするべきことがあるのではないかと。

一方で大学入学直後から、南三陸の震災復興ボランティアに毎週参加させていただいていました。

現地では親御さんを無くした子供たちが多く、精神的支柱を失い、そして繰り返される余震におびえるなど、毎日不安いっぱいの状態が続いていました。私は教育ボランティアとして、毎週一回現地を訪れ、勉強を教えていたのですが、それだけしかできない自分の無力さを痛感し、とても歯がゆい思いをしていました。

でも一緒にいて、子供たちが束の間の笑顔を見せてくれる時、そこにかすかな期待と安堵を感じ、自分に何ができるか、何をするべきなのか、自問自答を繰り返しました。

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震災であらためて感じたのは、日々の生活で当たり前にあると思っているものが、ずっと当たり前にあるわけではないという事実。であれば「親や友達や、自分の身近なもの一つずつをもっと大切に丁寧に向き合っていくべきでは」そう考えるようになりました。

時を同じくして、実家も「もうこれ以上農業を続けるのは無理」「やめざるを得ない」というところまで追い込まれてきたことを聞いて、「地元に戻る」決心をしました。その時点では何ができるか全くわかりませんでしたが、「少しでも地元の街に役に立てるように」福島大学の編入試験を受けることにしたのです。

「私学から国立の編入はかなり大変」「ストレートで卒業するのは厳しいよ」などと指摘を受けたりもしましたが、2年の春には気持ちを固めて、それからは試験対策に注力。無事、福島大学に通うことになりました。

【2】福島を理解するため、伝える力を磨くために「ミスピーチ」に応募

仙台でのキャンパスライフは、私学ということもあったためでしょうか、みんなが大学生活を謳歌しているといった一種のほんわかした雰囲気がありました。それに比べると福島大学は、もう少し堅いというか、勉強にも社会活動にもかなり真面目。特に震災復興対策には、非常に力を入れていました。

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学内には、「大地震・津波による大災害と放射能汚染によって、避難を余儀なくされた福島の被災者と被災地域の復旧・復興を支援するため」に2011年4月に設立された、「福島大学 うつくしまふくしま未来支援センター」、また「福島県を元気にしたいという熱意を持つ学生たちが活動・奮闘する場」として学生主導で活動を進めてきた「福島大学災害ボランティアセンター」などが、代表的な活動としてあります。

私は、所属していたゼミの先生が「福島大学災害ボランティアセンター」の責任者をされていた縁もあって、こちらの活動にずっと関わらせていただいてきました。

その主たる活動の一つに、仮設住宅の訪問があります。定期的に顔を出し触れ合う時間を設けることで、少しでも気分を和らげてもらえればと続けてきたものです。足湯やマッサージなどを毎週行ったり、季節ごとに、クリスマス会、忘年会、芋煮会なども実施しました。(※参考 「北幹線第一仮設 芋煮会」報告ブログ)

参加メンバーは200名以上いて、中には関西大学や長野大学など、遠距離から参加する学生も多くいました。「福島の実態をもっと広く伝えるため」、遠く離れた地域からも積極的にアクションを起こす学生がいることは、非常に嬉しいことでした。

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そういった活動からの縁で、2014年春にアメリカを訪れる機会がありました。これは外務省関連のプロジェクトで、日本をもっと海外に知ってもらおうという内容のもの。福島からも20名が参加しました。

私たちは「福島の魅力を伝えるため」、より前向きで楽しい話をするように努めました。「大変だったけど、今はもうみんな前向きに頑張っている」「いろんな可能性が福島から生まれ始めている」と、姿勢も言葉も努めて明るく振る舞って。

しかし話を聞きに来た在米の日本人、日系人の人から、痛烈なまでにお叱りを受けたのです。「あなた達は、お遊戯がしたくてここに来たのか」と。

その真意は、「もっと福島の現実を知りたい」ということでした。みんなアメリカにいながらも福島のことをすごく心配している。少しでも状況を知り、役に立てることがあったらしたい。政府がどう動いているのか、現地の被災者はどんな状況なのか、廃棄物の処理は進んでいるのか・・・「知りたいのはそういうリアルな姿なんだ」と。

もちろん、私たちは私たちなりに正しいと思っていたことをしていたつもりですが、それが図らずも裏目に出てしまった。伝えるということは凄く難しいということを知る機会になりました。

ちょうどその頃、福島を代表するキャンペーンガールである「ミスピーチ キャンペーンクルー」の応募があることを知り、伝え方を学ぶこと、あらためて福島の理解を深めることを目的に、応募することにしたのです。

【3】「桃」を通じて、福島の農業再生の少しでも役に立つことができれば

福島は日本を代表する果物の産地です。春はさくらんぼ、夏は桃、秋にはぶどうや梨、冬にもリンゴなど、四季それぞれに特徴ある果物が実り、いずれもが全国区の評価をいただいています。その中でも「桃」は、福島を代表する果物と言えるでしょう。ですから「ミスピーチ」も、私が52代目となるほどに、非常に歴史ある存在になっています。

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福島の桃は、主に3つの種類があります。出荷時期ごとに、「初姫」(6月~)、「あかつき」(7‐8月)、白鳳 (8月下旬から)です。中でも「あかつき」が中心的な存在と言えるでしょうか。特徴は、他地区に比べても大型であること。繊維に密度があり、甘みが強くとてもジューシーなこと。そして「あかつき」の色合いは、赤ちゃんのほっぺたのようなピンク色で魅惑的。まさに「食べてください」といった表情を私たちに見せてくれます(笑)

ちなみに、桃はヘタに近いところより、お尻の部分に甘みがたまります。食べる前に少し冷やしてかぶりつくと、それだけでもう幸せな気持ちに慣れるくらい美味しいですし、凍らせてシャーベットのように食べるのも私は大好きです。

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私が「ミスピーチ」を目指した理由としてもう一つ、桃に期待するものがありました。それは、これからの福島の農業再生の突破口になりうる存在であるのではないかということ。

実は、福島の農産物は殆ど風評被害で壊滅的な状況だったのですが、桃に関してだけはブランド力が落ちていませんでした。出荷量もあまり変わらないままでしたし、消費者のニーズは高かった。であれば「桃への関心を通じて、全国の人に福島の魅力を伝えることができる」「他の農作物にも安全なものがあることを知ってもらうことができる」そう感じたのです。

震災の状況は、みなさんさまざまなメディアで見聞きする機会がありますが、それだけでは真実は伝えられないのではないかと感じていました。同じ言葉でも、思いのこめ方や言葉の選び方で、伝わるニュアンスも量も大きく違うはず。であれば直接、目の前で、「当事者の声」として伝えることが重要なのではないかと。

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実際に「ミスピーチ」の仕事は、全国を回ります。私は在任期間中に、函館、宮城、東京、横浜、千葉、大阪などの各都市を訪問しました。デパートやスーパーなどで、福島のフルーツの味や特徴などの商品説明をしたり、福島に関するイベント、農業に関するイベントなどへの参加を通じて。

2014年8月には、東京の車内広告を福島でジャックしたことがありました。キャンペーンクルーが勢ぞろいしたポスターが、いたるところで列車内に掲示され、テレビ番組にも出演しました。また、フルーツラインと呼ぶ、市内でも特に果物の生産が盛んなエリアの果樹園を訪れるなど、レポーターとしてもさまざまな活動をさせていただきました。

これらの取組みを通じて、東京の方、全国の方々に、福島について、福島の果物や農業について説明する機会をたくさん得られたことは、非常に嬉しく張り合いがありました。今はもう「元」ミスピーチではありますが、ここで培った経験は、私のミッションでもある「福島の街のため」「福島の農業再生のため」、今後も生かしていける部分が多いのではないかと思っています。

【4】「支える側」でいることが、私にとって自然体の立ち位置

今でこそ、アクティブに活動をすることが増え、見た目も若干やんちゃな(笑)イメージかもしれませんが、もともとは非常に堅実的で保守的なタイプの学生でした。「親の敷いたレールの上を走るのが正しい」という思いこみがあり、何かするときにはすぐに親の顔が思い浮かぶ。「この判断は親が納得するだろうか」といったように。

リーダーシップをとるのも苦手な方でした。どちらかといえば、みんなの動きについていく方。子供の頃から背が高く、何をするにも目立ち気味なことが多かったので、「なるべく目立たないようにしよう」という意識が、知らず知らずのうちに染み付いてしまったようです。

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とはいえ、意地っ張りなところもあります。例えば震災関連のボランティア。これは大学在学中、終始一貫して続けて取り組んできました。それは「ただ純粋に人の役に立ちたい」という気持ちだけが原動力だったのですが、「やると決めたらやりぬく」そういう意志の強さは、自分なりに強いものがあるのではないでしょうか。

「腰を低く、でも言うべきことは言う。やるべきことをする」そういう姿勢は、これからも自分の持ち味として大事にしていきたいと思っています。

卒業後の進路は、ずっと悩んでいたのですが、母校である福島大学で働かせていただくことになりました。自治体、官庁など、「地元のため」「地元の農業のため」と言う思いを叶える場所は、さまざまにあると思うのですが、より地元に密着できる場所として大学は魅力的な存在だと。

一方これまで私がずっとボランティアを続けてこれたように、これからも学生がボランティアで頑張りつづけられる環境づくりのために、何らかのサポートができる機会があるのではないかとも考えたのです。

「頑張っている人」「再起しようと必死になる人」「困難に立ち向かう人」など、形や対象はさまざまかもしれませんが、そういう方々を「支える側」でいることが、私にとって自然体の立ち位置だと考えています。そのための力を、限られた残りの学生生活、そしてその後の社会人生活の中で、少しずつでも確実に身に着けていきたいと考えています。

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最後に、福島のキャンペーンガール経験者として、福島の魅力を観光面でも少しだけですが、PRさせていただきます(笑)

もう間もなくの季節、初春になると注目が集まるのが「雪うさぎ」です。市内西部に見える吾妻山の山肌に降り積もった雪が解け始めるころ、うさぎのような形で雪が残る姿を表すもので、福島に春の訪れを知らせるとても素敵な風物詩です。

その後の桜の季節はなんといっても「花見山」が見どころです。ここには13種類もの桜が植えられ、黄色、ピンク、白など色とりどりの花が咲き乱れます。毎年20~30万人もの観光客が全国から集まってくるそうで、街中が花見一色(?)になります。

温泉も人気の場所がたくさんあります。代表的なものとしては、飯坂高湯土湯が挙げられるでしょうか。私自身、飯坂には家族でよく行っていましたし、最近では高湯にもよく行きます。ここは、全国有数の硫黄成分濃度といわれ、効果効能の高さに人気が集まっています。また土湯は、地元の方々が観光振興に非常に頑張っていて、旅館の若旦那を集めた写真集「若旦那図鑑」なるものも発刊しています。

それ以外にも、さまざまな魅力が福島にはまだまだありますので、是非福島へ足を延ばしてみてください。そして福島の街が、農家や農産物が、より良い形で再生していけるように、見守り応援していただけたらとても嬉しいです。